明日って今だよ

※個人の感想、考えです

好きなものは金爆、わからない言葉は桎梏

えっ授業受けるんすか。

 

共通の言葉を話したい。それは、興味ある人達全員の身内ネタを理解してしまいたい、ということだと私は考える。

なんか難しいカタカナ言葉を使っている人達って、(そのカタカナ言葉がわからない時に調べるのが面倒臭いけど、) そういう人達こそ同じ言葉を話してもらいたいのかなーと思う。つまり、難しい言葉を使うと、話しているのと同時に聞き手の入り口を狭めることができる。これは悪いことではないと思う。

ただ、どの話をする時にもそうして聞き手を減らしていると、きっと考え事の正しい答えが見つかりにくくなるだろう。ふいに通りかかった人が適当に言った言葉なんかも手がかりにして、自分の考え事の答えを見出だすものだと思うからだ。

 

 

話は変わるけど、授業で さかいもとじろう の『檸檬』を習った。教科書に載っているから習うこともあるかもしれないけど、授業の前に「アッこれ有名な話だ、読んどこう」で 先に読んでいた身からすると、がっかりする。え?しないって?

国語の先生と解釈違いを起こしたことはないか。好きな物語の解釈を「答えはこうです」と、普段の授業でさせられるのが、私は苦痛で仕方がない。しかも授業って4週間で1単元くらいじゃないですか?

檸檬』は、最果タヒさんのエッセイと同じように、常に憂鬱さを纏っているような内容だ。過去を振り返り、街を眺めている。

死んだ後の魚のように、体の表面からだんだんと、濁った水に溶けていく気持ちになる。憂鬱ってそんな感じじゃない?

 

あ、最果タヒさんのエッセイ、『きみの言い訳は最高の芸術だ』、宇多田ヒカルさんについての話を少し読んで購入を決めました。でも他の話も面白いよ!読んでみて~

 

それで、なぜ檸檬の話になったかというと、授業中に先生が「レモンを齧るとどんな感じ?どんな音?」

生徒a 「…ガリリ」

私 (ガリリって、まあ言い表しづらいけど、年齢にしてはロマンチックな言い方をするんだn

先生「そう!ガリリ!ガリリといえば『レモン哀歌』ですね!」 クラスざわ…

先生「今年の合唱コンクールの自由曲は『レモン哀歌』です!興味のある方はぜひ私達の音楽室で歌いましょう!」「授業に戻りまーす」

 

というやり取りがあったから。